熱気球が好きなら観てみたい、7/10公開の映画「BALLOON」。
ドイツが東西分裂していた時代に、「東ドイツからの最も華々しい亡命」と言われたバルーンでの脱出飛行を描いた実話サスペンス映画です。
この映画の配給会社であるキノフィルムズ様よりコメントの依頼を頂き、実は私たち、公開に先駆けて本編を鑑賞しちゃいました!
普段の気球のイメージとは違う命の危険と隣り合わせの気球と、東ドイツの厳しい取り締まりの様子にハラハラドキドキが止まらず、とてもリアルでドラマティックな映画だったので、是非皆さんご覧ください。
さて今回は、この映画を見る時に知っておきたい歴史についてお伝えしたいと思います。
映画を見た時ドイツの歴史について知らず、「なんでドイツは東西に分かれたの?」とか「なんで東ドイツだけこんなに厳しいの?」という疑問が残ったので、事前に背景を理解して映画を見て頂ければ、よりリアルなのではないかと思うのです。
ドイツはなぜ東西に分かれたのか?
第二次世界大戦でのドイツ降伏前の1945年2月。
アメリカ・イギリス・ソ連の3首脳のヤルタ会談で、戦後のドイツをフランスを加えた4国で分断管理することが決定されました。
5月8日のナチス=ドイツの降伏後、6月に「四国宣言」が出されて具体的なドイツ全域の分割区域とベルリンの分割管理が示され、8月にポツダム協定が成立し、完全な非ナチ化・民主化がなされるまでドイツの四カ国分割占領が確定。
この分割占領はあくまで将来のドイツの主権回復を想定していた為、連合国4か国は共同の管理機関としてベルリンに管理理事会を設置して調整されることとなりました。
しかし、西側の米英仏染料地域では自由主義経済を基本とする経済復興を目指し、ソ連占領地域では社会主義化を目指す措置が執られた為、東西の違いが問題となりました。
そして、1947年。アメリカがトルーマン=ドクトリンを発表してソ連に対する封じ込め政策を明確にし、マーシャル=プランを具体化したことから東西冷戦は深刻となり、1948年6月の西側の通貨改革強行を機に、ソ連がベルリン封鎖に踏み切った時から4国管理理事会は機能しなくなり、ドイツの東西分裂が事実上確定しました。
1949年5月に西側管理地域にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立すると、対抗する形で10月にソ連管理地域にドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し、ドイツは東西に別個の国家権力が存在する分断国家となってしまいました。
ベルリンの壁の設置
1950年代後半には平和共存路線がとられたのですが、それと同時に東西ドイツの経済成長の格差がはっきりとした上に、東ドイツ国民の自由は制限され、秘密警察シュタージに関しされていた為に西ドイツに自由を求めて脱出する人が増えた。
それを阻止しようとした東ドイツ当局によって、1961年に西ドイツを取り囲む壁が設置され、西の資本主義と東の社会主義というイデオロギーの対立を象徴する場所となったのです。
東西ドイツ統一へ
1970年代にはいると、西ドイツのブラント首相の大胆な方向転換である東方政策が始まり、相互に現状を認め合おうという動きが出てきます。その成果として、1972年には東西ドイツ基本条約が成立し、翌年には東西同時に国連に加入。統一の模索が始まりました。
1980年代には、東ドイツの経済破綻が予想以上に早く進んだこと、ソ連でゴルバチョフが登場して体制が変化したことを背景に、1989年夏から大規模な東ドイツ国民の西ドイツへの移住が始まり、東ドイツ当局もそれを抑えることができずに一挙に統一への動きが加速。
1989年にはベルリンの壁の開放が実現し、1990年10月3日にはドイツ統一が実現。
ドイツは1945年から1990年までの45年間、国家分裂の時代を経験しました。
最後に
簡単に、ドイツの分裂から統一までの歴史をまとめてみました!
いかがでしたか?
「なるほど、占領していた国の方針の違いでそんな違いが生まれたのか」と理解はできたのですが、同じ国だったのにある地域の人は民主主義で、ある地方の人は社会主義で監視されるというのは納得いくはずもありませんよね!
この映画をきっかけに東西ドイツの歴史を知ることができてとても勉強になりました!
皆さん、是非映画も見てみて下さいね~
最後までお読み頂き、ありがとうございました!