ぷかログ

熱気球パイロットとして世界を旅する空飛ぶフリーランスのイマ

【台湾】ホテルで2週間の隔離生活。警察から電話?!そんなエピソードもありました

2020年6月25日に日本を出発し、7月11日から開催される台湾気球フェスティバルに参加するために台湾へと入国しました。

入国後すぐにホテルへと向かい、2週間の隔離生活を開始。
今日がその12日目で、隔離生活も残り3日です!

前回の投稿のその後、今回は「隔離生活の様子」をお伝えしたいと思います。

前回の、日本を出国してから入国の様子はコチラからご覧ください~。

pukapuka-azure.hatenablog.com

 

部屋にチェックイン!まずやることは?

隔離生活を始めたのはRoomNo.605。

まずはチェックインをします。この部屋に置かれた5つの書類に記入し、写真に撮ってフロントのLINEに送ります。これで完了!

ホテルとの連絡は部屋に設置された電話かこのLINE。LINEでやり取りできるのはお手軽で便利ですよね!

次に、ご飯をもらう為の棚を準備。

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アメニティや掃除道具(隔離期間中は自分で掃除なので)置かれているので、それらを移動させて部屋の外に設置します。そうすると、ここに食事を置いておいてくれるという訳です。

窓なしの部屋から窓ありの部屋へ

初めて部屋に入り、「広くて綺麗だし、ベッドも広々~」と浮かれながら写真を撮っていて気付いたこと…実は窓のない部屋だったのです。

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ここに2週間か~…と経験のない窓なし生活に不安が募ります。1,2日くらいは平気でしたが、3日目くらいから辛くなってきました。

何が辛いかって、電気を消すと本当にずーっと真っ暗で、目が覚めても夜中なのか朝なのか分からないこと。徐々に夜眠れなくなることで不安とストレスを感じる。

やっぱり人間の体内時計にお日様って欠かせないんだなぁと痛感します。

とは言っても、自分の健康は自分で守らなければ!
朝はラジオ体操をしてリフレッシュし、夕食の前にエクササイズの時間を設けて適度な運動を続けています。

そして隔離生活6日目。遂に窓ありの部屋へ移動です!

お世話になったR605からR510へ。
「R510のルームキーが部屋の外の棚に置いてあるから、移動していいよ~」とのフロントからの電話。荷物を持って部屋を出ます。

廊下の空気がすでにフレッシュに感じる…解放感

実は、部屋の扉を開けるのも食事を取り込む時だけと決まっています。なので、空気の入替えもできず、いつも食事が来た時にだけ一瞬廊下のフレッシュな空気を感じられるのがちょっとした楽しみだったんです。

さぁ、遂にR510に着きました!

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ドアを開けるとそこには壁一面にカーテン!
あぁ~窓がある!
しかも部屋が広くなってベッドも大きくなってる!
バスタブも大きくなってる!と歓喜

雄大とテレビ電話しながらカーテンをオープン。6日ぶりの外の世界にちょっと泣きそうになりました…

場所が変わったことで気分もリフレッシュ。残りの隔離生活は快適に過ごせそうです!

1日3食、デザート付きの配給システム

食事の時間は朝7時、昼12時(デザート14時)、夜18時となっており、部屋の外にある棚に届けてくれます。食事と別にお水も毎日10時に届けてくれます。

朝食にはジュース/コーヒー/ラテ/ミルクが選べるので、私は毎朝ラテをお願いしています。別のモノが欲しい時は事前にLINEでお願いすれば対応してくれるし、「コーヒーとミルク!」と2種類お願いすることもできるんだそう。優しいなぁ

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ご飯のお味は?

台湾はご飯やスイーツが美味しくて有名ですよね。お弁当もどれも美味しいんです!

毎日メニューが違うし、お野菜も入ってるし、スープもあって…フルーツもあるし。食事面はとても恵まれています。

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そして、夫婦でも別部屋の私たちのお決まりは、ご飯は話しながら食べる事。離れていても、ネット環境が整っているおかげで、テレビ電話や音声通話で簡単に会話ができて、ありがたいですね。

ありがたい!仲間からの差し入れも

台湾気球フェスティバルに参加するパイロット達は同じホテルで隔離生活を送っています。便利な世の中で、最近はUberEatsやFoodPandaという宅配サービスがあって気軽に注文できたり、ホテルのフロントにお願いすれば買ってきてくれたり、台湾フェスティバルのスタッフが差し入れをしてくれたりするので、充実した3食の他に差し入れのビールやスイーツなどもあって、食事で楽しませてもらっています。

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部屋から部屋へのお届け物も、フロントにお願いして棚に乗せておけば届けてくれるので、ホテルスタッフの皆さんにも本当に感謝…

部屋から出られないという不自由さによって、周りの人々の優しさが身に沁みます。

体調を毎日LINEとSMSで報告!

隔離期間中は、毎日体温を測って報告しなければなりません。

  • ホテルへの報告をLINEで朝晩の2回
  • 国の機関への報告をLINEで朝1回
  • 国の機関へ体調の異変の有無をSMSで朝1回
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特に夜の体温測定は運動からのご飯に気を取られて忘れがち…何度かホテルから催促されてしまいました…

フロントとのLINEも絵文字やスタンプが可愛くて、いつもほっこりしています

恐怖!警察からの電話…

部屋を移動した日。
お風呂から上がってスマホを見ると、台湾の固定電話から着信が来ていました。

なんだろう?と思いながらかけ直しても繋がらない…

しばらくすると部屋の電話が鳴り、フロントスタッフが「警察から電話が来てるから繋ぐよ~」とのこと。

警察?!

電話が繋がると警察の方がいきなり中国語で話し出したので、「え…英語で…」とお願いすると、「Did you leave the hotel?」と…。

え…?と思いながら「No」と答えると、「いつまでホテルに滞在する予定なのか」と聞かれ、「7/10まで…」と答えると「OK!」と解放してもらえました。

なんか悪いことした?!なんで?!

と不安になりながら、ひと息ついていると今度はスマホに着信。

警察だと言って、パスポートNo・生年月日・国籍を聞かれて、また「OK!」とだけ言って終わり。

えー、怖い!なんで?!

何がなんだか分からないので、フロントに「どうして警察が電話かけてきたのか?」と聞いてみると、「詳しくは分からないけど、隔離期間中の人に確認をしてるんじゃないか」とのことで真相は闇の中…

ここからは私の推測ですが、スマホGPSで隔離下の人間は監視されていて、その位置情報GPSの位置がホテルの外(とは言っても位置情報はバッチリホテルの住所だったけど)に出たりしていると判断されると確認の電話が来るのかなと思います。

この日移動してきた新しい部屋には、それまでより大きな浴槽があったので、「半身浴でもしながらゆっくりしよ~」と思いスマホで動画を見ていました。その後シャワーを浴びていた時にSMSで位置情報が送られてきており、さらにその数分後に警察から着信が入っていたのです。 

それ以外にも、スマホの電源が切れると警察から連絡が来たりするようなので、しっかりと監視されているということですね~

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どこでどう監視されてるか分かんない…ちょっと怖いなと恐怖を感じつつも、隔離生活は残り3日!

名残惜しさもあるけど、これが終われば私たちは自由だー!

解放後はフェスティバルが開催される台東に飛び、PCR検査を受けて、大会に参加する予定です。

 

最後までご覧頂き、ありがとうございます!

【台湾】コロナ禍でも負けない台湾フェスティバルへ出発!日本出国~入国・隔離までの様子。

2020年6月25日。

アメリカ・ブラジルで新型コロナウイルスの感染者が急増し、第2波が来たか?!というニュースを横目に、私たちは福岡空港から台湾は台北へと出発しました。

春に開催予定だった大会は中止に延期、夏のヨーロッパ遠征は中止、9月の世界選手権も2年後に延期と、気球の大会が軒並みなくなってしまって仕事がない。

コロナ禍で海外に行くのは心配だけど、行き先は「コロナの封じ込めに成功した」と言われる台湾だし、行きたかった台湾の気球フェスティバルに呼んでもらえるというのだから、行くしかない!

という事で、今回は台湾入国までの様子をお伝えします!

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出発までの準備

台湾への入国が緩和されてビジネスビザでの入国が許可されており、ビジネスビザを取得しての出発となります。

台湾に行くことを決めたのが5月末で、大会開始が7月。
入国後は2週間の隔離が義務付けられている為、6月下旬には台湾入りして欲しいとの要請。

この短期間でビザが下りるのか?と不安でしたが、オーガナイザーによる台湾国内での調整のおかげで、台湾の行政がフェスティバルに参加するパイロット達へのビザ発行を承認して良いとの公文書を発行してくれたのです。

それによって大使館が公文書を受領した6月23日にビザを申請し、翌日の24日には受け取るという、異例のスピードでビザを取ることができました!

とは言っても、出発の前日にようやくビザが手に入るとは…ギリギリセーフ!2019年のサウジアラビアといい、いつもバタバタ…

ビジネスビザ申請に必要な書類とは

台湾大使館のHPによると申請に必要な書類は以下のとおり。

申請に東京まで行かなきゃ?!と思いましたが、福岡にも分所があるのでそちらで対応して頂きました。メールには返信がありませんでしたが、電話すればその場で教えてもらえるので、質問などあれば、メールよりも電話の方がオススメです。

  1. 旅券及びその写し1通(A4):残存有効期限が6ヶ月以上
  2. 申請書1通(本人の旅券と同じ署名が必要)
    専用ウェブサイトにて個人情報を登録後、PDF形式のビザ申請書(A4)を要印刷。
  3. カラー写真2枚、サイズ:横3.5cmX縦4.5cm
  4. 旅行者本人の名前が入った往復航空券或いは次の目的地への航空券
  5. 会社が作成の海外出張命令書1通
  6. 会社が作成の在職証明書1通
  7. 会社謄本と会社印鑑証明の原本
  8. 台湾側招へい元作成の招へい状(フォーマットの指定無):電子データ可、要印刷
  9. 手数料 5,300円

停留査証(観光等)の申請 - 台北駐大阪経済文化弁事処 Taipei Economic and Cultural Office in Osaka

申請書はウェブサイトに登録し、印刷して持っていくのですが、これがなんとも分かりづらいので別途まとめようと思います!

いざ、福岡空港から出発!

福岡空港は、ガランと人気がなく静か。こんな空港見たことない!

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しかも、6月25日に運行する便は私たちが乗る台北行きのみ。その他の便は全て欠航となっていました。

チェックインカウンターに並んでいると、台湾のオーガナイザーからも、大使館でも登録するように言われていた「Quarantine System for Entry」の案内が。しかしながら登録には電話番号が必要で、私たちは空港でSIMを購入する予定。その旨を伝えると、手書きの書類を渡されました。
ただ、この書類を書いたことでQuarantine System for Entryは省略されないので、おそらく航空会社が搭乗の際に必要としているコロナ関連の書類だった模様

台北に到着したら預け荷物を消毒する」ことの確認があったこと以外は特別なことはなく、いつものように荷物を預けて搭乗券をもらって出国です。

国内で、問題発生?!

12時20分発なので、空港でご飯買って食べればいいや~と思っていたら、なんとレストランはどこも開いてない!

営業しているのは高級ブランド店や化粧品店だけで、いつもならあったはずの空弁やおにぎり、鯖寿司などが全く置いてない…

頼みの綱のセブンイレブンを見つけても、お弁当は置いておらず、カップラーメンとポテトチップスが売っているくらい。

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じゃあお昼はカップラーメンだな!と棚を見ると

「お湯はありません」

あぁぁぁぁぁーっ!
店員さんに一応確認してもお湯はなく、カップラーメンはお土産用とのこと。そんなぁ…

結局、お昼ご飯を調達することができないまま飛行機に搭乗しました。

搭乗客はたったの24名。24名の為に、飛行機を飛ばしてくれるEVA&ANAさん、本当にありがたいです。

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台北に到着し、入国手続き

さぁ、台北までは2時間半。あっという間に着きました。

飛行機を降りて進んでいくと、国内で案内されたQRコードの看板が立てられており、それを案内する係の方がいらっしゃいます。

電話番号があればここでQRコードを読んでQuarantine System for Entryに登録すればOK。登録するとバーコードが表示されて、さらに先の関門ではそのバーコードを使用するようです。

私たちはSIMがないので「SIM買いたいよー」と係の方に伝えると、売り場はあっちだと教えてくれます。価格は15日間の通話100$+無制限のデータ通信で650NT$。日本円で2600円くらい。

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SIMを買って係の方の所に戻ると「Health Declaration and Home Quarantine Notice」の用紙を記入するように言われ(体調に異変がないかや、過去14日間どこに滞在していたかなど)、記入した紙を提出すると、その場で電話番号が有効かチェックの着信があり、諸々問題なければ入国審査へ向かいます。

どこのエリアでも係の方が親切に「この書類書いて~」と案内してくれるので、台湾いいとこ

預け荷物をピックアップし、空港から隔離生活をするホテルまでは指定のTaxiで向かいます。到着ロビーに出るとすぐ、Taxiの案内があるので迷うことはありません。係の方に声をかければ乗り場まで連れて行ってくれます。

乗り場では、荷物も人もすべて消毒液を散布。消毒液のお陰で全身ヒエヒエでタクシーに乗り込みます。運転手のおじちゃんは英語は伝わりませんでしたが、住所が書かれた紙を渡して無事に送り届けてくれました。

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空港から1時間半くらい、47km離れたホテルまでで1000NT$。約4000円くらいでした。

ホテルで2週間の隔離生活スタート!

ホテルに着いてロビーへ行くと、ルームキーが渡されてそのまま部屋に向かいます。

そしてなんと、夫婦でも別部屋での隔離!
2人だから2週間部屋に居ても平気だわ~とか思っていたのに。まさかの。

部屋のデスクにはチェックインに必要な書類が5つ置いてあり、これらを記入した写真をホテルのLINEに送ってチェックインとなります。

隔離期間中の食事は、朝7時・昼12時・夜18時にお弁当を部屋の外の棚に届けてくれるので、その食事を取り込む時のみ部屋の扉を開けることが許されています。

雄大の部屋はすりガラスになっていて開かないし外も見えない、ギリギリ窓と言えるようなものがあり、私の部屋は窓なし。

外の様子は全く分からず、かすかにゴロゴロと聞こえるのがヘリなのか?雷なのか?というくらいで、昼も夜も同じ明るさで朝は真っ暗…。一晩過ごすだけなら全く問題ないのでしょうが、やはりそこで1週間過ごすとなると、3日目で元気がなくなってきます。

なんとかラジオ体操したりエクササイズや筋トレをして運動をしながら乗り切ります!

ホテルのお部屋や食事についても、別途記事にしていきたいと思いますので、また読んで頂けると嬉しいです。

 

では最後に、台湾入国の様子を動画にしておりますので、コチラもご覧ください!

youtu.be

 

最後までご覧頂き、ありがとうございました!

映画「BALLOON」を観る前に知っておきたい歴史のこと

熱気球が好きなら観てみたい、7/10公開の映画「BALLOON」
ドイツが東西分裂していた時代に、東ドイツからの最も華々しい亡命」と言われたバルーンでの脱出飛行を描いた実話サスペンス映画です。

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©2018 HERBX FILM GMBH, STUDIOCANAL FILM GMBH AND SEVENPICTURES FILM GMBH

この映画の配給会社であるキノフィルムズ様よりコメントの依頼を頂き、実は私たち、公開に先駆けて本編を鑑賞しちゃいました!
普段の気球のイメージとは違う命の危険と隣り合わせの気球と、東ドイツの厳しい取り締まりの様子にハラハラドキドキが止まらず、とてもリアルでドラマティックな映画だったので、是非皆さんご覧ください。

さて今回は、この映画を見る時に知っておきたい歴史についてお伝えしたいと思います。
映画を見た時ドイツの歴史について知らず、「なんでドイツは東西に分かれたの?」とか「なんで東ドイツだけこんなに厳しいの?」という疑問が残ったので、事前に背景を理解して映画を見て頂ければ、よりリアルなのではないかと思うのです。

 

ドイツはなぜ東西に分かれたのか?

第二次世界大戦でのドイツ降伏前の1945年2月。
アメリカ・イギリス・ソ連の3首脳のヤルタ会談で、戦後のドイツをフランスを加えた4国で分断管理することが決定されました。

5月8日のナチス=ドイツの降伏後、6月に「四国宣言」が出されて具体的なドイツ全域の分割区域とベルリンの分割管理が示され、8月にポツダム協定が成立し、完全な非ナチ化・民主化がなされるまでドイツの四カ国分割占領が確定。

この分割占領はあくまで将来のドイツの主権回復を想定していた為、連合国4か国は共同の管理機関としてベルリン管理理事会を設置して調整されることとなりました。

しかし、西側の米英仏染料地域では自由主義経済を基本とする経済復興を目指し、ソ連占領地域では社会主義を目指す措置が執られた為、東西の違いが問題となりました。

そして、1947年。アメリカがトルーマン=ドクトリンを発表してソ連に対する封じ込め政策を明確にし、マーシャル=プランを具体化したことから東西冷戦は深刻となり、1948年6月の西側の通貨改革強行を機に、ソ連ベルリン封鎖に踏み切った時から4国管理理事会は機能しなくなり、ドイツの東西分裂が事実上確定しました。

1949年5月に西側管理地域にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立すると、対抗する形で10月にソ連管理地域にドイツ民主共和国東ドイツが成立し、ドイツは東西に別個の国家権力が存在する分断国家となってしまいました。

ベルリンの壁の設置

1950年代後半には平和共存路線がとられたのですが、それと同時に東西ドイツの経済成長の格差がはっきりとした上に、東ドイツ国民の自由は制限され、秘密警察シュタージに関しされていた為に西ドイツに自由を求めて脱出する人が増えた。

それを阻止しようとした東ドイツ当局によって、1961年に西ドイツを取り囲む壁が設置され、西の資本主義と東の社会主義というイデオロギーの対立を象徴する場所となったのです。

東西ドイツ統一へ

1970年代にはいると、西ドイツのブラント首相の大胆な方向転換である東方政策が始まり、相互に現状を認め合おうという動きが出てきます。その成果として、1972年には東西ドイツ基本条約が成立し、翌年には東西同時に国連に加入。統一の模索が始まりました。

1980年代には、東ドイツの経済破綻が予想以上に早く進んだこと、ソ連ゴルバチョフが登場して体制が変化したことを背景に、1989年夏から大規模な東ドイツ国民の西ドイツへの移住が始まり、東ドイツ当局もそれを抑えることができずに一挙に統一への動きが加速。

1989年にはベルリンの壁の開放が実現し、1990年10月3日にはドイツ統一が実現。

ドイツは1945年から1990年までの45年間、国家分裂の時代を経験しました。

最後に

簡単に、ドイツの分裂から統一までの歴史をまとめてみました!

いかがでしたか?

「なるほど、占領していた国の方針の違いでそんな違いが生まれたのか」と理解はできたのですが、同じ国だったのにある地域の人は民主主義で、ある地方の人は社会主義で監視されるというのは納得いくはずもありませんよね!

この映画をきっかけに東西ドイツの歴史を知ることができてとても勉強になりました!

皆さん、是非映画も見てみて下さいね~

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

7月10日公開!東ドイツから気球での亡命を描いた映画「BALLOON」を観よう!

気球好きの皆さんが心待ちにしているであろう、映画「BALLOON」の公開(7月10日)まで約1ヵ月。2020年1月に公開された「The Aeronauts」に続き、また気球映画が見られるなんて!嬉しい!

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©2018HERBXFILMGMBH,STUDIOCANALFILMGMBHANDSEVENPICTURESFILMGMBH

ということで今回は、当時のメディアが「東ドイツからの最も華々しい亡命」と報じた実話を映画化した「BALLOON」について、ご紹介したいと思います。

balloon-movie.jp

 

あらすじ

東西戦争時代の旧東ドイツでは大勢の市民が西側への亡命を試みていたため、秘密警察である国家保安省シュタージは国民の日常生活に厳しい監視の目を光らせ、ベルリンの壁を越えようとする者は国境警備隊によって容赦なく射殺していました。

1979年の夏。
電気技師ペーターとその家族が、準備に2年を費やした「気球による脱出作戦」を決行。しかし、防水加工されていない布製の球皮が湿るという誤算が生じ、高度は瞬く間に低下。浮力を失った気球は国境の200m手前に不時着してしまいます。

夜明けを待って帰宅したペーターら一家は、何事もなかったかのように以前と同じ生活に戻ろうとしますが、シュタージがこの一件を嗅ぎ付け、捜査が始まります。

気球のサイズとガス燃料の量から飛行時間出発地点が絞り込まれ、物証の中の処方薬から容疑者の捜索が進んでゆく…シュタージの影に怯えるペーターらに「もう一度、気球を作れば?」と励ましたのは、幼い息子のフィッチャー。

6週間後に兵役を控えた設計者であるギュンターとその家族を巻き込み、再挑戦を決意。総勢8人のふた家族が乗れる気球をつくるには、前回以上に大量の布が必要。怪しまれないように各地の生地店を回って少しずつ布を調達し、不眠不休で新たな気球の製作を進めます。

一方、シュタージも国家の威信をかけて捜査を続けていました。生地店からの情報と、ガスボンベのラベルの情報から容疑者が住む地区を推定。軍隊を動員し、包囲網を張り巡らせます。

シュタージの手が間近に迫っていることを察したペーターらは急遽出発を1日早め、検問を間一髪すり抜けるようにして森の草原に辿り着き、作戦を決行します。

スタッフ&キャスト

  • 監督・脚本・演出:ミヒャエル・ブリー・ヘルビヒ
  • 脚本:キット・ホプキンス, ティロ・レーシャイゼン
  • ペーター・シュトレルツィク:フリードリヒ・ミュッケ
  • リス・シュトレルツィク:カロリーヌ・シュッヘ
  • ギュンター・ヴェッツェル:デヴィッド・クロス
  • ペトラ・ヴェッツェルアリシア・フォン・リットベルク
  • ザイデル中佐トーマス・クレッチマン

製作エピソード①映画化権が独占的かつ永久にディズニーに売られていた

ヘルビヒ監督が気球に乗った実在の家族、シュトレルツィクとヴェッツェルの両家族に連絡を取り、映画製作の企画を進めていたのだですが、脚本の準備段階で、1970年代末に彼らの伝記に関する権利をディズニーに売却していたことが分かり、突然とん挫してしまったのだそう。

両家とも映画化権を独占的かつ永久的にディズニーに売り渡していたのです!

その後2年間、ヘルビヒ監督は何とか権利を手に入れようとしましたが、無駄骨。しかし諦めず、数年前に会ったことのあるハリウッドの大物ローランド・エメリッヒを訪ねて事情を説明すると、それを理解してくれたエメリッヒは「すぐディズニーのプロデューサーに電話するよ」と言い、1週間後にはディズニーと話をすることができた。

こうして、ドイツ語でのリメイクの権利を手に入れたのだとか。監督のたゆまぬ交渉によって映画化が実現したんだそうです!

ちなみに、ディズニーが映画化したものは「気球の8人」というタイトルで1982年に公開されています。こちらも見てみたいです。

tsutaya.tsite.jp

製作エピソード②シュタージ中佐役のトーマスは旧東ドイツを脱出していた

シュタージのザイデル中佐を演じるトーマス・クレッチマン

実は彼、1983年に旧東ドイツを脱出して、ハンガリーユーゴスラビアオーストリアを経由して西ドイツへ移住した経験があるのです。

実際に旧東ドイツの体制から逃げ出した経験によって、当時の体制をよりリアルに表現してくれるのでしょう。

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©2018HERBXFILMGMBH,STUDIOCANALFILMGMBHANDSEVENPICTURESFILMGMBH

気になる気球の情報

ふたつの家族が亡命を成功させた気球と、失敗した気球の2機はドイツで保存されており(2017年まではナイラ・ハイマート美術館、その後はバイエルン州歴史博物館)、映画ではオリジナルと同じ寸法で作られた気球が使用されています。

製作したのは、1979年にオリジナルの気球を一度修復しているアウクスブルクヴェルナー気球会社

気球のサイズ

  • ゴンドラ:縦1.4m×横1.4m
  • 床:暑さ0.8mmの金属シート
  • 高さ:32m
  • 球皮:1,245㎥の布地
  • 取り込める空気:4,200㎥(150くらい)

2回目の亡命で使用したこの気球は、1979年当時のヨーロッパでは最大で、ギネスブックに記録されたそうです!

成功した飛行データ

めったに吹かない北風を待っての飛行。36km/hくらいの、結構早い風が吹いていたんでしょうね。

  • 最高高度:2,000m
  • 飛行時間:28分
  • 飛行距離:18km

さいごに

気球を手作りしたこともなければ、安全第一でフライトしている私たちにとっては、命を懸けて気球を作り、それで亡命するというのはまさに奇想天外。そうしてまで亡命する必要がある情勢だったのでしょうが、想像もつきません。
そんなスリリングな展開の中で、彼らが作った気球がとても大きく美しくて、惹きつけられます。

製作のエピソードも興味深くて、7月10日の公開が待ち遠しいです!

www.youtube.com

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

朝日新聞に「熱気球セミナー」について掲載して頂きました!

お題「#おうち時間

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5/23(土)・24(日)に「熱気球セミナー PUKAPUKA CHALLENGE」を開催しました!

23日には佐賀バルーンミュージアムから、展示されている資料等を使いながら中継し、24日には自宅から中継する形で、全国各地の熱気球好きな方々と熱気球についてみっちりと勉強することができました。

そんな私たちの企画を、朝日新聞の方に取材して頂き、5/25(月)の朝刊とデジタル版に掲載して頂いたので、是非ご覧ください!

www.asahi.com

今回は8名の方にご参加頂いたのですが、参加者は熱気球パイロットの方から、初めての方、気球大好きな小学生たちなど幅広い層の方々。

どうすれば皆さんに分かりやすいのか毎回試行錯誤しながら資料を改版しています。

参加して頂いた方には毎回、理解度やご意見を頂くためにアンケートに答えて頂いているのですが、そこで頂く感想が本当に嬉しくて、次回への強力なパワーになっております。

 

次回の開催は、6/20・21で、オンラインで実施予定。

皆様のご参加をお待ちしております!

pukapuka-azure.wixsite.com

熱気球セミナー「CHALLENGE」開催中!

お題「#おうち時間

4月、5月と開催してきたPUKAPUKAの「熱気球セミナー CHALLENGE」。

本来は会場で一緒に気球を立ち上げたり、パイロットバルーンを見てみたりと体験しながら学ぶ予定でしたが、新型コロナウイルスの感染防止のために急遽オンラインという形で開催してきました。

第3・4回目の開催は佐賀市の後援を頂き、バルーンミュージアムをお借りして開催する予定のこのイベント、どんな想いで企画や準備をしてきたのか、お伝えしたいと思います。

pukapuka-azure.wixsite.com

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PUKAPUKAの想い

2019年に個人事業主として開業し、「好きなことをして、自分達らしく生きていく」ことにしました。目標は、世界選手権で優勝!ということで、日本で熱気球競技会が開催されている以外の期間は海外でのコマーシャルフライトに挑戦しています。

なぜコマーシャルフライトに挑戦するのかは、コチラの記事をご覧ください。

pukapuka-azure.hatenablog.com

2019年の夏。雄大のコマーシャルパイロットデビューの地となったのはスペイン。熱気球メーカー「ウルトラマジック」の本社があるイグアラダの街でKON-TIKIという会社にお世話になりました。フライトには2人で出向き、雄大パイロット、私はクルーをしていたのですが、日本と海外ではルールも違うし、やり方も違う。勉強になるし、知れば知るほど面白みを感じる

でも、日本でも海外でも熱気球のことや競技のことを知っている人はやっぱり少ないんですよね。ただ、気球ってこうやって動くんだとか、競技ってこんな風に競ってるんだという事を話すと、結構興味を持って聞いてもらえるので、まずは知ってもらうことが大切だなと思うんです。

それに、熱気球が好きだけど、どうやったら関われるか分からない方、パイロットを目指さなくても良いけど、もっと知りたいという方もいらっしゃるはず。そんな方々にマメ知識や雑学のように情報をお届けして、もっと熱気球を楽しんで貰いたい

そういう気持ちで、セミナーをやってみよう!と考えました。
ただ、せっかくやるなら、私たちが得た情報やエピソードを盛り込みつつ、簡単でも一歩踏み込んだ内容で面白みを伝えられるようなものにしたい。

ということで、基本はパイロットになる為に受ける講習の内容に沿い、関連する情報を追加したり日本と海外を比較したりして分かりやすく説明するようにしています。

既にパイロットの方やPu/tの方には復習にもなるし、純粋に気球が好きな方には「そうだったんだ~」「そんな風になってるんだ~」と楽しんで頂ければ嬉しいなと思っています!

1年近くかけての企画・準備

考え始めたのは、2019年夏のスペイン。
時間には余裕があるので、少しずつ企画を進めていました。

開催のタイミング

いつやるか?

1年の半分以上は海外で、私たちが日本に居るのは春と秋の大会シーズンのみ。大会の前はトレーニングに集中したいので、5月の佐久大会後11月の鈴鹿大会の後くらいしかチャンスがない…。

本当は、グランプリ5戦の開催地で実施して、もっと競技を楽しんで貰いたいところだけど、仕方ない。一旦、やれる時にやれる場所でコツコツやっていこう。に落ち着きます。

どんな内容にするか

気球に関して、良く受ける質問があります。

  • どれくらい飛べる?
  • どれくらい人が乗れる?
  • どうやって飛んでる?
  • どこでも飛べる?
  • 危なくない?

ごもっとも!
これらの疑問を解決するためにも、飛行原理や仕組みをきちんとお伝えしたい。ただ、気球について全然知らない方からパイロットになりたい方までいろんな方がいらっしゃるはず。

なので、その方の知りたい事をお選び頂けるようにいくつかのSTEPに分けることにしました。結果的に3STEPに分かれ、このようになっています。

  • STEP1:熱気球が飛ぶ仕組みを知ろう
  • STEP2:熱気球が飛ぶための基礎知識やルールを学ぼう
  • STEP3:どのようにパイロットが空を飛んでいるのか学ぼう

まずはSTEP1を受けてみて、興味が沸けばSTEP2に進んでも良し。気球の基本的なことは知ってるから、STEP2から受けてみても良し。元世界チャンピオンの雄大がどうやってフライトプランを考えているのかを知りたいからSTEP3だけ受けてみるのも良しです!

資料の準備

日本気球連盟が発行している「パイロットハンドブック」というものがあります。まずはこれをしっかり読み直し、自分達自身で復習をしました。トレーニングをしていた当時はちゃんと覚えていても、忘れちゃっていることもあるし、結構勉強になります。
例えば、プロパンガスが液体から気体になるとき、何倍に膨張する?とかね。

そこから、どんな内容をどの順番で伝えていくかアウトラインを決め、内容を具体的にPPTで作っていきました。

機材に関することはウルトラマジックのマニュアルを引っ張ってきたり、浮力については温度・気圧・密度についてとことん調べて理解しようとしたり…

一番勉強になったのは空域についてでした。日本にはどんな空域があって、それぞれどのような制限があるのか、きちんと整理した上で、海外の空域について調べてみると全然違うことが良くわかりましたし、非常に興味深い。

自分が理解していることも、分かりやすく説明しようとすると、とっても難しい。何度も作っては直しを繰り返し、全てが出来上がるのには数カ月を要しました。

遂に2019年に実現

資料の準備と同時進行する形で、2020年に入ったくらいから開催に向けて栃木県野木町佐賀県佐賀市との調整を進めました。

自治体から後援を頂くと、情報誌に載せてもらうことができるのですが、企画書や収支計画書を提出したり、もちろん営利目的ではいけないので利益を考えると自分達で開催した方が良い。でも、多くの方に気球について知ってほしいというのが目的なので、その地域の方に届きやすい形をとる為に後援を申請することにしました。

まずは2020年4月の渡良瀬大会後に野木町で、佐久大会後の2020年5月には佐賀市で開催することに決定!半年以上1年弱をかけて準備してきたこの企画。開催が決まると、いよいよな感じがしてきます。

ところが。
2020年2月頃から新型コロナウィルスの感染拡大が深刻化してきて、イベントは軒並み中止となりました。3月に帰国してもまだ終息は見えない…

開催中止?そんな事も頭をよぎります。

イベントがなくなり、自粛が呼びかけられ始めると、世の中にはZoomやその他のミーティングアプリを使ったオンラインイベントの波が押し寄せて来ていました。

そっか、集まれなくてもオンラインでやれるじゃん。一緒に体験はできないけど、今やれることやってかなくちゃ。

ということで、PUKAPUKAもオンライン化の波に乗り、会場に集まってのセミナーをオンラインでの実施に切り替え、4月と5月に無事開催することができました!

そして、これから

佐賀市の市報にも載せて頂きましたが、5/23,24・6/20,21には私たちがバルーンミュージアムにお邪魔してオンラインで開催を予定しています(コロナの状況次第では6月はバルーンミュージアムでの開催の可能性もあり)。

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これまで参加頂いた皆様には受講後のアンケートをお願いしており、分かりづらかった部分や難しかったという部分は毎回改良を加えております。

これからも継続的にセミナーを開催して、いろんな方に熱気球に知って頂きたいと思っていますし、現在ある3STEP以外にもパイロット育成コースや競技を知るコースなども作って行けたらと思っていますので、皆様のご参加をお待ちしております!

イベントの詳細やお申込みはコチラから☟

pukapuka-azure.wixsite.com

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

熱気球を発明したモンゴルフィエ兄弟の子孫・ローランさんに会いたい!

今週のお題「会いたい人」

2019年11月30日にサガテレビで放送された特別番組「夢のはじまり モンゴルフィエのふるさと」、ご覧になりましたか?

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佐賀に帰って来たので、録画してもらっていたこの番組をやっと見ることができました。佐賀バルーンフェスタの特集と、雨宮塔子さんの熱気球のルーツを巡る南仏旅が盛り込まれたこの番組。とっても良かったです!
こんな特集がもっとしてもらえると良いなぁ…

 

この南仏旅の中で、驚くべき情報が!

熱気球を発明したモンゴルフィエ兄弟。その子孫であるローラン・ド・モンゴルフィエさんが熱気球パイロットで、今もフランスのアノネーでフライトされているというのです。

すごいすごい!フランスに行って会いたい!

と2人で大興奮。熱気球好きなら、やっぱりお会いしたくなりますよね?!

しかも、モンゴルフィエ兄弟が当時営んでいた製紙業も代々続いていて、今もフランスの画家に人気のキャンバス等を作っているのだそうですよ。

Annonay Balloon Festivalに行ってみたい!

1973年6月4日は「初めて熱気球が無人飛行した」記念すべき日なのですが、モンゴルフィエ兄弟の出身地であるフランスのアノネーで行われました。

このことから、アノネーでは6月の第1週の週末にAnnonay Balloon Festivalが開催されているのだそう。

しかも、実際に藁を燃やしてその煙を集めて熱気球を飛ばしてみたり、貴族の格好をした紳士淑女の方々がいらっしゃったりと、当時の様子を忠実に再現したデモンストレーションもあるようです。

熱気球発祥の地ならではのフェスティバル。いつか行ってみたいです!

フランスでのモンゴルフィエの想い出

2017年に2人でフランスの大会に遠征した時のこと。
フランス人の方に「熱気球の大会で来た」と伝えようとしていた時、「Balloon」や「Hot Air Balloon」では全く伝わらなかったのですが、「montgolfière」でバッチリ通じて、フランス語で熱気球はmontgolfièreなんだな~と身をもって感じたことがありました。

フランスのロレーヌでは世界最大機数の熱気球が集まるMondial Balloon Festivalも開催されています。フランス人ってオシャレでお上品なイメージが強いのですが、熱気球にしても、アドベンチャーへの情熱も強いんでしょうね。

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さいごに

Annonay Balloon Festivalを調べていたら、(フランス語で読めないので推測でしかないですが)モンゴルフィエ兄弟が熱気球を発明し、無人飛行に成功し、動物を乗せての飛行実験も成功、最終的に有人飛行に成功するまでの歴史がウェブサイトに多数の写真と共に載っていました。

日本語のサイトは大体どれも同じような写真と文言で書かれているのですが、フランスのサイトではこれまで見たことのない写真も多く掲載されていて、さすがフランスだな~とちょっと感動。

大学時代にはフランス語を勉強していたのに、もうさっぱり忘れてしまったので、もう一度フランス語勉強してみようかな~と思った次第です。

 

今回も、最後までお読み頂き、ありがとうございました!